オシム元監督『恐れるな!』の炯眼(けいがん)、恐れるべし!!
『恐れるな!』−なぜ日本はベスト16で終わったのか?
を読み返してみました。
1回目に読んだときは、とても鋭いなと感銘を受けておりましたが、
2回目に読んだときは、なるほど、これは日本人そのものに対する、愛ある警告でもあるなと、
感じ入りました。
これは、私もよく感じていることですし、
サッカーの専門誌や書籍によく書かれていますが、
もちろん、サッカーをこよなく愛している国民ほどそうなのですが、
その国の『サッカーの代表チームの監督』をすることは、
その国の『政治のトップ』を担うことより、はるかに大変であるということです。
その国のサッカーの代表チームは、その国家の夢や希望、
そして、国家の運命まで背負って戦っているようであり、
その監督としては、運も必要、指導力も必要、そして、何より、成果を出せること、
そして、その国民におおきな夢や喜びを与える重大な仕事が要請させていると思います。
オシム監督は、次のように言われています。
〜
日本チームは、実は、素晴らしい能力を持っており、より上位をねらえることが、十分にできた。
〜
ただ、日本は、リスクを冒す準備を怠っていたと言わざるをえない。
『勇気に欠けていた。』
これは選手一人ひとりが自分の胸に聞かねばならない非常に大切な要件である。
〜
(以上、引用です。)
私自身も、サッカーをやっていたので、少しは分かるつもりなのですが、
リスクを冒して、挑戦する、攻撃すると、
その分、マイナスや数的不利が生まれ、
攻められることになるのです。
攻める以上は、攻めきって、点を入れるか、シュートで終わらせるか、ボールをなんとか失わないか、
そういう形までもっていく見通しや勢いがないと、そうやりきる勇気がないと、
いつも中途半端な試合運びになってしまいます。ひいては、点を取られてしまいます。
サッカーに興味のない人には、分かりにくい話かもしれませんが、
サッカーは、いわば、バランスの崩し合いであり、
大きな方針として、『攻めきる』か、それとも、『守りきる』か、
その大きな2つの選択の決断を、いつも迫られており、
勝負をかけ、攻めきるときには、攻めきれないと、息切れして、カウンターでやられてしまうことがあります。
つまり、常に攻める体制を整え、相手の攻撃に耐えながら、流れを見て、攻めきるときには攻めきらないと、
勝つことはできません。
その能力はあるのに、その勇気がない。
それは、ミスをしない手堅い仕事かもしれませんが、
優勝をねらってゆこうとしたら、
勇気をもって、リスクを冒して、攻めきらなければ、点は入りません。
ところで、今週、不信任案が出されるのか?
そして、可決されるのか?
否決されるのか?
サッカーで言えば、攻めきって、ゴールを上げられるのか?
それとも、一歩の勇気がなく、攻めきれず、シュートで終われず、
逆に、見事なカウンター攻撃をくらってしまうのか?
野党のトップの皆さんの勇気が、まわりを鼓舞して、全員で勇気をだせるのか?
そして、与党の皆さんの勇気までも喚起できるのか?
または、とんでもない失敗をして、オウンゴールをしてしまうのか?
サッカーの話をすると止まりませんが、
サッカーには、人生が凝縮されているといいます。
先が読めず、攻めと守りが、一瞬で切り替わり、
幸福と不幸が、あざなわれた縄のように交互にやってくるのです。
また、サッカーは、直接は手を使わず、ボールを運ぶので、失敗が多く、効率が悪く、不確実性が高いのです。
不確実性が高く、努力が報われませんが、涙ぐましい努力しないと何も進みません。
そして、超一流どうしになると、リスクを冒す勇気がとても大切になるのだと、
オシム監督は教えてくださいました。
いまの日本の政治の戦いが超一流であるかは、分かりませんが、
日本という大国の方針を決め、未来を決めるという、聖なるお仕事ですので、
サッカーの代表選手の皆様より、リスクを背負って勇気をもって、ご判断いただきたいと願う次第であります。
政治に勇気を!
政治家に勇気を!
そして、私たち国民も勇気をもって、正しい選択を積み重ねてゆかねばならないと念っております。
何もかもそろったら、ととのったら、やるというのは勇気ではなく、
何か足りないものはあるし、負ける可能性もあるけれども、
最後は、勇気を出して、挑戦しないと、道は拓けないのだと思います。
私も、力を磨きつつ、そして、
オシム元監督のご指導に学び、
勇気ある人となり、勝利を手にする人になってまいります!
幸福実現党
ほそかわ幸宏
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