日本の学習権と教育内容について?!

学習権ともいうべき「教育を受ける権利」については、

憲法26条第1項で、

「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と、規定されています。


難しい話にならないようにしたいと思っておりますが、

民主主義国家にあっては、

教育は、きわめて、きわめて重要であり、

当然のことですが、教育によって、自立した、責任と見識ある、素晴らしい大人が輩出されなければ、

よい国ができません。


その反対に、教育が、成果を生まず、

自立できない、無責任で、見識のない大人ばかり、生みだしてしまうならば、

その国の政治も、それが反映され、よい国はできなくなってしまうでしょう。


ここで問題なのは、

結局、それほど教育は大切で、子供たちの学習権なるものは大切なのですが、

その方向性はいいのですが、

とても、とても問題なのは、その教育の中身そのものなのです。


もちろん、いま、日本の子供たちは、学校に行けて、勉強できるのですが、

その中身が、責任ある、見識ある大人を輩出するにふさわしいものであるかどうか、

ここが、非常に大切で、この内容次第で、素晴らしい理想国家が建設できるところまでいけることもありますし、

この内容が、人間の本来の素晴らしいものを開花させない、

むしろ、人間の本来の素晴らしいものを封印するようなものがあった場合は、

場合によりますと、間違った国家に没落してゆく可能性さえあるのです。


つまり、子供たちの学習権なるものは、非常に大切なものですが、

ただ、教育を受けられるだけでは、その権利を保障しているとは、とうてい、言い難いものがあります。


むしろ、その教育の内容こそ、しっかりとしたものに、向上させ、洗練させ、

また、世界に通用する、根源的で、普遍的なる真理を探究・研究・学習できる高次なるもの、高貴なるものを、教育は含んでいなければ、絶対にいけないのです。


結論として申し上げれば、

日本の教育は、そういった、世界に通用する、根源的で、普遍的なる真理を説く宗教について、

否定的に取り扱っているところが、弊害を生んでおり、

日本の国に、国難さえ、もたらしていると言えます。


特定の宗教でなくていいので、

人間に、本来、備わっている信仰心の尊さ、正しい宗教の尊さ、

普遍的な宗教的真理を、子供たちに分かるレベルで、きちんと教えない!ということは、

ある意味、恐ろしいことに、無神論を肯定することにもつながってしまうのです。


普遍的な宗教的真理を、しっかりと教えないということをもって、

宗教を否定する考えさえ、生みだしてしまうのです。


高貴なる偉人は、神仏を素直に信じている方々が多く、

まさに、神仏の代理人として、高貴なる人生を生き抜いた方々です。


神仏が存在し、人間に守るべき根源のルールがあって、それに基づく善悪の基準があって、

それを学び、ウソをつかず、人々のお役に立って、

高貴なる義務を果たせる大人をどんどん生み出せる教育がいいのか?、

それとも、神仏は存在せず、地上の人間にさえ知られなければ、ウソはつき放題、

権謀術数をつかって、権力さえ維持できて、自分たちさえよければいいというような、

低俗なる権利を維持できればいいという大人をどんどん生み出してしまう教育がいいのか?

その答えは明らかです。


そして、いま、まさに、ときの政権が、神仏に恥じない高貴なる義務を果たすのではなく、

神仏を踏みにじるような、低俗なる権利をがっしりとにぎって放さずにいるのではないでしょうか?

本当にいやな、邪悪なる存在にまで、堕ちているのではないでしょうか?



もちろん、間違った信仰や、邪悪なる信仰ではいけませんが、

人間を、責任ある、高貴なるものに成長させ、

有用で、しかも、世のため、人のために尽力する人材に育て上げるのが、教育の真なる使命であり、

そのためには、宗教的真理がバックボーンにあることが、絶対に必要であるのです。



単なる道徳や、この世での罰則だけでは、根本的に歯止めが効かず、

その一面が、

地上にいる人間に分かりさえしなければ、ウソをつき、法律にふれさえしなければ、不正もしてしまうのが、

無宗教の怖さであり、

神仏を信じて、神仏に恥じない心を持ち、神仏にご恩返しができる高貴なる人生を生きるのが、

本来の宗教教育の力なのです。


今日、お伝えしたかったことは、

日本は、実は、

非常に大切な学習権が保障されているとは、まったく言えない、不幸な、危機的状況にあるということです。


形だけの学習権の中に、宗教を正しく認めない内容を盛り込んだら、

そのいきつくところは、悲しいことに、容易に神仏を認めない、自分勝手な、神仏の心が分からない人間を、多数、生み出してしまっているのです。


しかし、いまからでも、間に合います。

やはり、信仰心によって、本当に善良で社会に貢献しようという人間を育て上げ、

そして、有用性のある実学もあって、社会を健全に発展させられる企業家精神を養える理想の教育を、

日本の学習権の内容としていくような、たえざる改善、改革が必要であろうと思っております。


大川隆法総裁の『教育の法』が、

この日本の教育の問題点を指摘、改善し、

理想的なる国家に築く、日本人が真剣に学ぶべきポイントを、分かりやすい言葉で教えてくれています。


日本に教育が盛んになることはいいことです。

日本にどんどんと新しい学校が立つことはいいことです。

さらに、真剣に、正しい宗教的価値観を含む学校ができて、

高貴なる義務を果たす人材を生みだそうとすることは、さらにいいことです。


滋賀県にて、栃木県の那須本校に続いて、幸福の科学学園の関西校が2013年に開校いたしますが、

この憲法に保障された『学習権』の尊さ、重み、大切さを知り、

また、その学習権に足らざる、あるべき理想(宗教教育の重要性)をよく知って、

つまらぬ反対運動を扇動する輩には、次の言葉をお贈りいたしたいと思います。


いじめ問題の解決のために、全国的にNPOまでをも立ち上げて戦ってきたものをいじめるのは、

いじめがもっと増え続ける日本をつくりたいのですか?…と。


やはり、内容を知って、ご判断をいただきたいと思いますし、

まさか、内容を知った上で、反対運動をしかけるなら、

その反対運動の奥底には、普通に考えても理解できない、

反対のための反対、または、理想の教育を否定しようという、理想を失った寂しさ、暗さを感じます。


私は、あるべき理想の教育に、日本の教育をより近づけてゆき、

日本のみならず、世界の人々のために、

高貴なる義務を果たせる素晴らしい人材を輩出できる教育を目指すことが、

この日本の国難を打破してゆく大きな力になると信じております!



幸福実現党
ほそかわ幸宏


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