日本国憲法の法源とは!?
日本国憲法の法の源とは、何か?
そもそも、何によってできたのか?
憲法の前文の冒頭には、
「日本国民は…………ここに主権が国民に存在することを宣言し、この憲法を確定する」と、
明言されています。
これは、日本国憲法の制定者が、国民主権主義による国民であることを、
明確にしたものであるといえるでしょう。
ですから、この憲法の規定の上からは、日本の国の憲法は民定憲法であり、
それが、通説になり、いま、疑うことさえないように思われます。
しかし、歴史を勉強してみると、
日本国憲法は、民定憲法としての成り立ちを経ていない!!!、ということが、
明らかになってまいります。
敗戦後の、物心ともに、いちじるしく荒廃し、混乱したなか、
正常な国民の判断を伴って、制定されたわけではないのでありましょう。
占領軍総司令部の支配下のもとで、
日米対等の立場で原案が作られたのではなく、
いわば、総司令部の原案に基づいて、日本政府案が作られたのでした。
そして、憲法改定草案要綱の審議も、総司令部の厳重な監視下のもと、
徹底した審議は行われず、字句の修正などは行われたが、
敗戦下のもと、この草案を受け入れるべきだという空気だったといいます。
かなり簡略化してすみませんが、
というような、日本国民が納得して作った憲法ではどうみても、
ありえないということが、分かってまいります。
日本国憲法のもとなるものは、何か?というと、
もちろん、民主主義的精神が加わったところもありますが、
戦前にも、選挙も国会もあり、日本には民主主義はありました。
簡単な言葉でいえば、
「日本を再び立ち上がらせない!日本を大国にしない!」という考えがあったと思います。
日本から、精神的支柱を、見事に取り去ったのです!
そして、それを、あたかも、日本人が決めたようにしたのです。
前文の真相は、
「アメリカ占領軍総司令部は…………ここに主権が日本国民には、アメリカには立ち向かえないような範囲だけは存することを宣言し、この憲法を確定する」
…ということなのです。
わたくしたちは、この事実を知って、
さあ、どうしますか?
いつまで、押しつけられた憲法を、バカみたいに守り続けるのですか?
と思わなければなりません。
日本国憲法の源(みなもと)は、当然、日本の国民の総意によるものであるべきです。
また、ただの平凡人の、私のような凡夫の考えではなく、
神、仏といった、崇高なるご存在から流れる、普遍的で、
神や仏の子である人間の素晴らしさを前提とした、かけがえのない人生の指針があって、
愛し合い、生かし合うような高度で、崇高なる規範であるできであると考えております。
そうした日本人としての共通ルールとなる憲法をあるべきものに取り戻し、
世界を幸福に導ける大国・日本として、成長してゆける時代を皆様とともに、
切り拓いてまいります。
幸福実現党
ほそかわ幸宏
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