憲法の前文にある「自国の主権を維持し」とは?
難しい話にならないようにいたします。
憲法の前文にある「自国の主権を維持し」という、『主権』とは、
ひらたく言えば、国の権利のことです。
それは、例えば、「選挙は国民の主権の行使である」という文脈での、『主権』とはちがって、
国の権利、国権のことです。
まず、お伝えしたいことは、
主権とは、「国権の最高・独立性」を意味しているということです。
これが、主権の本来の意味であると言われています。
ひらたく言えば、「国としてどうしたいのか!!!」ということです。
国家の意思力!!!、とでもいうべきものです。
国家を法人とすれば、国家は法律上、自己の目的を遂行する意思力を持つが、
国家は、その目的の範囲や実現の方法を決定することに関して、完全に自由であり、自主的であるのです。
これが国家の最高性です。これが国家の特色です。
地方公共団体が自治を許されるのは、国法の範囲内における相対的自治です。
国家は、自己の組織を定めるのに、他の権力の制限を受けないし、
国家自身の統治権の範囲を自由に定られるし、
地方公共団体との関係において、統治権の配分を定めるのも専ら国家のみの意思によります。
このように、国内に対しては、主権は国権の最高性を意味しますが、
国外に対しては、「独立性」という方が適切になります。
国家は、自己の意思に反して、他国の権力によって、権利を制限されたり、義務を課せられたりしないという独立性を持っているのです。
国家も、国際法に従い、条約を尊重しなければならないが、それは国家の自己制限にすぎないとするのが通説だそうです。
まだまだ、『主権』には、深い意味、政治を考える上で重要な概念があるのですが、
今日は、何をお伝えしたいかというと、
国家として最高に、何をしたいか?という、一番に、ものすごく、このうえなく、大切なことが、
政治家も、国民も、分かっていないのではないか?
ということです。
難しい話かもしれず、すみませんが、
国家として最高に、何をしたいか?なんて、どうでもいいわ、というのが、
そもそも、今の日本の根本の問題!!!なのではないでしょうか?
日本が、自国の主権を維持しようとしても、それが分からないのなら、
政治が頼もしくない、面白くない、必要ないと思われると言われてもしかたがないですね。
いま、あえて、日本の主権、つまり、国家として最高に何をしたいか?を言葉にしてみると、
日本が、そこそこ平穏無事であればいい、または、ことなかれで、日本が生き延びれたらいい、
アメリカのいいなりでもいいし、中国のいいなりでもいいし、おこらせるより、いうことを聞いておこう、
というような意思でしょうか?
こういう状態だと、声の大きい、態度の大きい、地方分権の声に負けて、ずるずると国としてどうしたいか分からないのですから、
国家の主権は、下手とすると100%近く地方に配分して、まったく問題ないというところまで、
ゆるくなってゆくかもしれません。
しかし、やはり、日本は、ほんとうに、自信と誇りを取り戻し、
世界のリーダーとなり、
手始めに、中国の覇権主義の行き過ぎをあきらめさせ、
アメリカの経済的衰退を助け、
また、中東の混乱を仲裁し、
世界の戦争を止める崇高な使命を持つべきだと考えます。(大きくでましたが…。)
日本は、大和の国、大いなる調和の国ですから、それを世界レベルで、和をもって尊しとなす国家間協調を推し進める使命を果たせると確信しております。
また、日本は、日の本の国、太陽のみなもとの国とも言われ、太陽のみなもととなるくらい光とエネルギーがあって、全世界を照らせる国としての使命を果たすべきでもあると思っております。
幸福実現党は、日本を世界のリーダーとし、世界を幸福に導いてゆきたいと真剣に願っています。
こういうことを、国家として最高にやってゆきたいと思っていてこそ、
素晴らしい、やりがいのある、希望と勇気あふれる国づくりができるのではないでしょうか?
菅首相の最小不幸社会なんて、思いが小さすぎて、国家として最高にやりたいことにあげられないものだと、
思います。
今からでも、遅くはありません、間に合います。
日本を素晴らしい国とし、世界の人々を助けることができ、導けるような、と〜ても夢のある最高の未来を描き、信じ、
がんばってまいりましょう!
私も日々、精進を積み重ねてまいります!
幸福実現党
ほそかわ幸宏
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